2011年2月26日土曜日

N君のこと

N君を弔いに行ってきた。
くも膜下出血で倒れて18日、とうとう息を引き取ってしまった。
52歳、あまりにも早すぎる。

ヤツとの思い出は、ほとんど喫煙・飲酒、それからバンドだ。
小田嶋隆が「ア・ピース・オブ・警句」に「私が高校生だった当時、喫煙の習慣は、現在の状況からは考えられないほど、高校生の間でも半ば常識として蔓延していた」と書いていたが、我が高校でも同様だった。小田嶋氏は2割程度が常習的喫煙者といっていたが、同じようなものか。土曜日、正門の近くにある「友楽」のもやしそばを食べに行くと、食後、上級生の何人もが店の裏へ消えていった。みんな食後の一服をしていたのだった。それが日常の光景であった。

Nに肩車されるワシ 1975年
ワシとN君は、1年から3年までいつも一緒に喫煙していた。喫煙スポットは、現代の会社などよりよほど多い。アマチュア無線部の部室、柔道部の部室、山岳部の部室、屋上。ひどいときは放課後の教室で吸ったこともあった。3年生になると、屋上の出口にあるアマチュア無線の部室まで行くのが面倒になり、教室の脇にあった階段の踊り場で吸う始末だった。今を基準にするとおよそ考えることができない「乱れた」学校であった。しかし、私の在学中、喫煙で停学になったという話はついぞ聞かなかった。はっきり言って、先生方は見て見ぬふりをしておられた。あるとき、喫煙仲間のM氏が一人階段下で喫煙中、日本史のK松先生に見つかってしまったことがあった(らしい)。しかしK松先生は、何も見なかったことにした。したがって、何も起こらなかった。

その中でも、Nはとりわけ運のいい男だった。いや、カンがよかったと言った方がいいかもしれない。1年生の時、何かの行事で教室から体育館(?あるいは他の教室)へ移動しなければならないことがあった。男子の多くが「かったりぃ、行くのやめようぜ」と行って教室に残っていた。ワシとNは喫煙に行った。その間に、教室に残った連中は教師に見つかり、正座させられる羽目になった。
また別の日、2年生か3年生の頃だったと思う・・・、数人でアマチュア無線の部室にいた。ワシが「吸おうぜ」というと、Nは「いや、今はやめた方がいい」と言った。そのほんの少し後、教師が入ってきたのである。ワシは「こいつといればぜったい捕まらない」と確信したものである。

その彼が、今度ばかりは運に見放されてしまった。なんということだろう。
今頃あの世で、好きだった寺内タケシでも弾いているのだろうか。
高校3年間、文化祭では彼と一緒にバンドをやっていた。「一緒に」と言ってもNのワンマンバンド。我々はみんなサポートメンバー。でも、バンドにおける「イロハのイ」はあそこで学んだ。
もう一度一緒にやってみたかった。

本当に残念である。

2 件のコメント:

  1. 昔は(見ないふり)でうまく廻っていたんでしょうね。
    いい時代でした。
    N君のご冥福お祈り申し上げます。

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  2. 本当にいい時代でした。
    というか、今の世の中がとげとげしすぎるんですよね、きっと。余裕を取り戻したいものです。

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